それは一通の手書きの手紙から


 1977年(昭和52年)、まだバソコンという言葉もない時代、手書きの一通の手紙が、錦クラブ誕生への最初の一歩でした.

 「トーストミストレスクラブへのお誘い」の書き出しで始まるその手紙は、既に発足した名古屋、葵の両クラブに続いて、この地域3番目のクラブ、「錦」を創設するための呼びかけでした.

 「トーストミストレスクラブって何?」 よくわからないまま出向いたチャーターメンバー(創立時会員)もいたとか。

その呼びかけに応じて集まった23名で、1977年(昭和52年)錦クラブは産声を上げたのです.

 今も会員のもとに保管されているチャーター時のプログラムは、アメリカを本拠地とする組織だけに、すべて英語で記載されています。(会の進行は日本語です)

手書きの垂れ幕、議事録などから、当時を想像することができます。

バッジや名札をつける位置もきちんと決められていて、規律を重んじる組織であることが伺えます。  

 こうして一歩を踏み出してから今日まで、その間に起きた大きな変化は、1985年(昭和60年)に、トーストミストレスクラブから現在のITC(International Training in Communication)と名称が変更されたこと、時代の変化に伴い、ワープロを経てパソコン、メールといったITが導入されたことです。

 しかしながら、コミュニケーションが人間同士のふれ合いの中で鍛えられることは、今も昔も変わりません.

  以来37年間、毎月の例会に加え、年に数回の上位レベルであるカウンスル会合、さらに上位レベルである日本リージョン大会を通じ、様々な形のコミュニケーションと、その基本となる議事運営を学ぶ場を提供し、会員とともに成長しながら、今日に至っています。

         創立時のメンバー                                         創立時のプログラム